出会いと気づきのと愛の不登校

不登校だからこそあなたに気づく大チャンス。新しい教育を考えてみませんか?

義務教育という縛り

昨日は中学の卒業式でした。

中学校までは学校へ行ってなくても、校長先生の裁量で卒業できます。

うちの次男も長女もそのパターン。

次男は学校へは行ってなかったので私が後から校長室へ卒業証書を受け取りにいき、娘は自ら式に参加すると決めて、今日その日を迎えました。

 

そして、わたしも一旦中学を卒業。

また2年後に三男が入学します。(学校へ通うかは未定です)

 


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そんな中感じたこと。

学校へ行ってないお家にとって、

「義務教育の圧」は凄い強すぎてしまうのではないかということ。

 

これは親の判断基準にもよるとは思うので、あくまで私が感じたことではあります。

 

義務教育というと国や地方の公共としての役割からの義務、親の役割からの義務というところから憲法と法律で規定されてる内容があります。

その中で1番学校へ行かない事と結びつきやすいのが、日本が「就学型義務教育」であることではないかと思います。

 

 

”日本はあくまで「就学義務」であり、「教育義務」という定義ではないので、諸外国によく見られるホームスクーリング(フリースクールも)は義務教育の履行とはみなされない。"

 

 ここに無意識のうちに囚われてしまいます。

 

「普通の小学校、中学校」へ通えてないと社会の規定から外れてしまうのではないか。

それはいけない事。

=皆が出来てることができない事はダメな事。

 

そう思いやすい、考えのパターンがつくられやすい社会なのではないかなと思うんです。

 

それは学校へ行ってても同じで、行けばいくほど皆一緒の事をするというのが良い事という漠然とした概念に縛られてく気がしますけど。

 

そんな概念に縛られ続けてきた親にとっては、

そこから外れてしまうことは強風でしかないんですよね。

 

学校へ行ったから将来が安定な理由でもないし

学校へ行ったから人間関係をつくれるわけでもないし、

学校へ行ったから生きてくのに役立つ勉強をできるかといったらそうでもないし

 

なのに、なぜか学校へ行ってないと将来を不安に思ってしまう恐怖感。

親として子育てをできてないと思われるかもしれない否定される恐怖感。

子どもとどう関わっていいかわからない戸惑いの恐怖感。

そんな思いが生まれてくるわけです。

 

「学校へ行かない」という事実があるだけなのに、義務教育に対する従わなければがあるがために、子どもが学校へ行かなくなる当初、親ら色んな不安、困惑、恐怖でパニック状態だと言ってもいいくらいな心持ちになると思います。

 

その状態で子供のことわかるって無理ですね。

 


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まずは親の心の安心が必要です。

そのためには、まず親が今まで受けてきた義務教育の呪縛から自由になること。

 

その自由を得るためには、つくられた基準に従うのではなく、そこに質問を持って、自らの基準を作り出すことが必要だと思います。

 

お母さんは特に直面しがちなので、1歩おいて不安な思いを明確にすること大事です。

 

私の経験を踏まえてのお話しになりましたが、

 いつも頑張ってるお母さんにエールを送りたい。

「義務教育」の規定から自由になって、もっとあなたのすること、思うことに自信をもちましょう。

 

 ぜんけ けい

 

 

 

 

 

 

 

子どものことで頑張るお母さんへ伝えたい

前回のブログの続きです。

 

 

 

ken-gaa.hatenablog.com

 

子どもが学校へ行かないことを問題と思っているうちは問題解決しないと書きました。

それは現象であって、その現象つくりだしている何かがあります。

その何かが大事なんです。

 

子どもが学校へいかなくなったとき、当たり前が当たり前でなくなったとき

お母さんの心は不安ですよね。

 

その不安があるから問題になるんです。

 

お母さんの持つ不安が何なのか。

どんな不安があって、そこからどんな考えが生まれるのか。

そこをまずは明確に知ることが大事です。

 

そのために必要なことがアウトプットです。

 

一人でモヤモヤをかかえていてはその不安の正体はいつま経っても

わかりません。

不安だからその不安をなくそうとして、いろいろやってみるけど、

上手くいかない。さらに不安の積み重ね。

・・・という悪のループに入ります。

嫌ですよね。何とかしようと、頑張れば頑張るほど、不安が増大していくのです。

 

そこから出る第一歩は自分の不安をちゃんと感じてあげること。

その不安を受け入れられること。

その不安が何なのかを明確に知ること。

そして、その不安を一掃できることです。

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それを一人でやろうとしても絶対に無理です。

不安ってみたくないですよね。無意識で逃げたくなります。

事実、私がそうでした。

 

一人で泣いて、一人怒って、一人で何とかしようと思って自爆。

 

それを救ってくれたのは何の判断もなしに話を聞いてくれ、

私自身が気づく質問をしてくれ、どんな私でもいいんだと、ありのままを出していいんだと、心の安心つくってくれた人との出会いとその人が使っていた技術との出会いがあったからです。

 

なので、今度は私がその安心をつくる側として、サポートしたいんです。

 

一緒に泣いて、一緒に怒って、一緒に笑いながら、あなたの心が不安から自由になる

お手伝いをしたいのです。

 

お母さん自身の心が安心にならないと子供の心は理解できません。

 

子どもが学校へ行かないということは

本当のあなたに、本当のお子さんに出会う大チャンスなのです。

そのチャンスを最大限に活かしてほしい。

 

そのために必要なのがまずはアウトプットです。

(何度も言っちゃいます)

積み重ねていくと、あなたが気づいてないあなたの思いまで意識できるようになります。

私のことを自分を知る存在として使ってみてください。

 

自分を知ってみたい、私と話してみたいとちょっとでも思ったいただけたら

meeting laterでお知らせいただけると嬉しいです。

 

まずはメールでのやり取りからとか、質問などでも大丈夫。

ぜひぜひ、お気軽につながってくださいね。

 

Kei

 

ws.formzu.net

あらためて、学校へ行かないということ。

久々に「学校へ行かないこと」について母という立場書いてみたくなりました。

そして、このブログは「 子どもが学校へ行くのが当たり前と思ってたお母さん向け」です。

 

「学校へ行かないって何?」

うちの子どもが学校へ行かなくなってから、4人トータルすると23年分。中々凄い。その間の気づきでもあります。

 

「学校へ行かない」…文部省で定められてる長期欠席の規定は年度間で連続または継続して30日以上欠席した児童生徒数。

そのうち、病欠、経済的理由と並んで不登校という項目があります。

 

不登校って、何でしょうね?

(不登校って言葉登校するのが当たり前という気がしてあまり好きではないです。「当たり前ができてないダメな子なんだ」と云うニュアンスを私は受け取ってしまいます。)

 

もし、あなたの子が学校へ行かない選択をしたら、あなたは何を感じますか?

何を思いますか?

子供に対して、どうコミュニケーションとりますか?

学校に対して、先生に対して、どう関わりますか?

 

自分の子どもが学校へ入る前に、そんな事を考える人ってほとんどいないような気がします。

 

「こんな気持ちになるかも。」

 

私もそうでした。

7歳になる年に学校へ行く。当たり前でした。

学校へ行くことの準備はできるけど、

学校へ行かなくなることの準備はできてないんですよね。

 

その当たり前と思われることができなくなった時に「問題」として認識されます。

 

社会のモデルとされてる、大半の人がするだろうことから出てしまった時に「問題がある」ととらえてしまう。

 

そういう教育を受けてきたから。

 

そして、その「問題がある」と思った時に、人はその問題を解決しようとします。

 

まずはこの現象を何とかしよう。

そのためにどうしたらいい?

子どもと話す?

先生と話す?

学校で何かあった?

原因は何?

まずは子どもの思うように休ませた方がいい?

それとも少しでも登校をうながした方がいい?

このまま行かなくなったらどうしよう?

…考えのループに入り込み、あれやこれややってみるけど、やればやるほど深みにはまってく。

 

不安がつのる。

イライラもつのる。

 

母として何か足りなかった?

もっとできることあったのだろうか?

私の育て方がいけなかった?

何も気づいてあげられなかったから?

…自分をせめるループにもはまる。

 

こんな思いをしてるのは私1人。

誰も私の気持ちなんてわかってくれない。

学校の話しにも入れない。

…回りとの相対比較でさらに苦しくなる。

 

と、書いてるだけで苦しくなってきました(笑)

これは私が感じてきた事一部で、人によって感じることは様々だとすれば思います。

けれど、学校へ行くのは当たり前と思ってるお母さんが初めから子どもが学校へ行かなくなったこと「良かったね」とは思えないのではないでしょうか?

 

「本当に解決したいこと」

 

学校へ行かなくなる理由は様々だと思いますが、母としての不安は大きいですよね。

 

だから、本当は自分の抱くその不安をまずは一番に解決したいんですよね。

 

けれど、学校へ行かない事を問題と思ってるうちは何の解決もできないんです。

 

解決するのは実は凄いシンプルな事なのですけど、人がつくりだす考えは強烈でどんどん複雑化させてしまうんですね。

 

その、解決策方法とは…。

 

また次回お伝えしますね。

 


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学校って何?

7歳になる年に4月小学校へ入学する。

ここに疑問をもつ人ってどのくらいいるんだろう?

 

入学前の年の秋頃に新入生説明会とかあるけど、なぜその年になったら小学校へ通うのかの話しをしてくれる事ってある?

 

学校へ行かせない選択もあるのだろうけど、大概は何の疑問ももたず学校行くこと考えてる。

 

 ここでふとおもう。

そうそう、ランドセル。

最近はめちゃオシャレなランドセル沢山出てきてるけど、それを買う時に子どもが学校へ行かなくなることなんてまず考えない…と思われる。

何万もするものをもう入学前年の夏前には買ってしまったりする訳です。

 

私、これ子どもが学校行かなくなったら、そこにかけたお金がもったいない気がする… それだったら別なものに使いたい。そこにそんなお金をかける必要があるのだろかと思っしまうわけです。(うちのランドセルお兄ちゃんの時から1万超えてない…)

 

ちょっと話しずれたけど、どこの学校で学ぶかは選択するかもしれないけど、学校が 必要、必要ではないといったところの話しはしないのではないかな…。(わたしの知る範囲なので、そういう必要、必要じゃないを話し合ってる人もいるかも。ぜひ、そういう人の観点で聞いてみたい)

 

子どもが学校へ行かなくなった事で私は初めてそのそもそもの所に意識がいったの。

 

学校とは何なの?って。

 

今ここまで何の疑問も持たずに、敷かれた道を歩いてきたのかを知った瞬間。

 

質問を持つ事の大切さを教えてもらった。

学校って何?

 

 

 

 

学校へ行くのは当たり前?

学校へ行くのは当たり前と思ってた私。

なんの疑問も持ったことない。

 

熱があっても

男子に悪口を言う言われても

話せない自分が嫌と思っても

学校は行くべきところだった。

休むのが嫌だったが1番大きい。

 

自分が休んでる間に起こったことを知らないことが嫌で、負けず嫌いでもあったから、そこで頑張った。

 

だから子どもが休むことにさえ悔しさ感じてた。

 

「学校へ行かないというのは子どもの中でなにが起こってるの!?」なんて全く考えず、やるべき事をやらない、休んでしまうことが腹立たしかった٩(๑`ȏ´๑)۶

 

ちなみに自分がやることできてたかといったら、全くそんなことはない。…なんて勝手。

 

いやー、今思っても自分の気持ちしか存在してないエゴエゴママ。

 

こんなママの元にいる子どもはそれを敏感に感じて、そこに従い切るか、反発するか。

 

その最初の反発が次男

凄い子だわー。

 

次男は、「こんなに私怒れるんだ(´-﹏-`;)」と思わせる達人だった。

 

私がつくった考えに自分がやられてる。

しかもそれを次男が問題だーとしちゃって、

問題をすり替えちゃってるの。

そんな事ができちゃう人間の脳って凄いよね。

 

「学校は行くのは絶対」の考えに縛られてた私はきっと悪魔の様な顔して次男と出会ってたんだろうな。

 

学校は行くのは当たり前じゃないのにね。

そうそう、当たり前じゃないんだよ!

これは強く言いたい。

 


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学校へいかないことはプラス?マイナス?

不登校」ってプラスのイメージ?

マイナスのイメージ?

 

人によって様々なイメージあると思うけれど、

マイナス的なイメージが多いのではないかと思います。

(このイメージ関しては検索すると詳しくは大学で研究されている資料もいくつかあります。

また、不登校といってもその人それぞれの状況も様々だから一般的なイメージとしての話です。

 

私も元々はすっごいマイナスイメージでした。

 

小学校1年生で次男が学校へ行かなくなったとき、

私はこんなことはあってはいけないくらいの思いを持ってました。

何学校へ行かない理由が何かが全く分からず、予測でしかない。

何をどうしていいかわからない。

 

さらに、一番大きかったのは親としてダメな親と思われることが嫌だった。

子供のことなんてほとんど思ってやれないエゴな親。

 

今思うと馬鹿だな・・って笑って思うけど、その時はもうこの世の終わりくらい。

すごいマイナスのイメージだった。

 

だって不登校はいけないことと思わせる世の中の情報、多いから。

(たぶん私がいけないことと思っていたから、そういう情報だけを引っ張ってたのもあると思います。)

 

で、私はこのブログで何を書きたいかというと、世の中にある学校へ行かなくなったときどうする話を書きたいわけではありません。

 

学校へ行かない選択を子供がしたことによって、私に起こった「出会いと気づきと愛」の感動を伝えたいんです。

たくさんの苦しい涙を流してきたからこそ、その涙も抱きしめた感動を伝えたいんです。

 

学校へいないことはプラスでもマイナスでもない。

そのことを通して起きる出会いに意味がある。

そのことを通して今まで全くの無知であったことに気づくことに意味がある。

 

4人の子が皆不登校経験あると、それぞれ観えてくる来るものがあって面白いです。

あくまで私が経験してきたところでのお話しになるけれど

ちょっとでも気づきが共有できれば嬉しいです。

 

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子育てのポイント

4人の子を育ててるなかで山あれば谷ありで、あまりにも谷が深すぎて、登ってこれなかったり、高い山を目指しすぎて挫折感味わったりと、私の子育て、どちらかというと【しんどさ】が際だってました。

その事は追々書いていきますね。

そのいちばーんつらくてどうしようもなかったときに、「観術」というメチャクチャ凄い、この世界が720度位変わってしまう道具、技術と出会って、本当に子どもと出会っている事の意味価値、子どもとの関係でどんなあり方から関係を築いていけばいいのかがわかりました。

それが『』が何かを知ることです。

それを知ることは人間が何なのか、この世界がどうやってできているのか、これからどんな生き方をしていけばいいのかにつながり、全ての仕組みがわかってしまうことです。

これってすごくないですか?

だって人間って、自分が何なのかも明確にわからずに、人間的何なのかも明確にわからずに子育てしてるんですよ。

明確な答えと方向性持って子育てしたくはありませんか?

一緒に知っていきましょう。

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